美容師からエンジニアに。
こんにちは、yutoです。
今回は私が美容師からエンジニアに転職して2年が経ちましたので、振り返ろうと思います。
ざっくりと
- 美容師全力時代
- 海外留学
- エンジニアに転職
- 今感じていること
- これから
- 最後に
ちょっと思考整理したくなった
11月より新たな会社に転職が決まり、一旦書き出してみようかなと。
※本記事は自身の思考整理も目的としております。
美容師全力時代
美容師のはじまり
幼い頃から「世界中どこでも自由に働ける職業がいい」と美容師を目指しました。
職人である父の背中を見て育ったことも影響しているかもしれません。
高校卒業後、美容専門学校に進学。
20歳で社会人生活をスタートしました。
新卒で入社したのはネームバリューがある会社で
THE美容師といった生活を送っていました。
朝7時にはお店に行き、自主練からオープン準備をして、19時の営業終了後は片付けして終電まで自主練。
営業中はバックルームに入ることも許されない雰囲気。
他のスタッフがフロアにいて、自分がバックルームにいても怪しまれないタイミングを見計って水を飲んだり、パンをかじったりしていました。。
美容師が本当に好きでなかったら、即辞めていたと思います。
振り返ると、辛かったことの方が多く思い出されますが、厳しいからこそ、技術をしっかり教えていただいたところだったなと。
(そこの店長はこれまで出会った美容師の中で最も技術が長けていると今でも思っています)
はじめての転職
美容師は自分の髪を先輩にやってもらったり、同期や友達にやってもらうことも多いですが
普通にお客さんとして他のサロンに行くこともあります。
技術や雰囲気、お客様目線でどう見えるかなど学びが非常に多いからです。
その中で担当していただいた、Yさんに出会いました。
「この人と働きたい」「技術を教わりたい」
そう思い、Yさんが働くサロンへ転職しました。
Yさんは技術はもちろん、マインドや価値観が非常に魅力的でした。
働くサロン選びにおいて、「ブランド」や「立地」に重きを置いていたのが
「誰と働くか」に変わったのはこの時だと思います。
またタイミングよく、リニューアルオープンをするということで
オープニングスタッフとして貴重な経験をさせていただきました。
この頃には普通に昼食が食べられるようになっていたなぁ。
大手上場企業のサロンへ2度目の転職
そろそろアシスタントリーダーになるかという頃
Yさんがよりマネージメントに関わるために転職するとのことで一緒に転職することに。
ただし別々のサロンへの配属になりました。
100店舗以上ある大手企業だったので、単純なマンパワーバランスもありますが
知り合い同士をあまり同じサロンに配属しない方針だそう。
残念でしたが、周りにはスタイリストデビューしている専門学校時代の友人も多く
私も早くデビューしたい!とデビューだけを目標に日々練習に打ち込みました。
デビューした後は、海外に渡ることを考え始めました。
ある程度のスタイリストの経験値が貯まれば、海外でもやれると思っていたからです。
そんなことから経験値と渡航資金を貯めるために業務委託サロンに転職することに。
業務委託サロンへ3度目の転職
若手スタイリストの転職先としてどんどん人気が出ていた業務委託サロン。
全員スタイリストなので、練習会やミーティングといったものがなく
各々好きな時間で勤務可能、多くの入客ができて、かつ稼げる。
転職した会社は営業時間が9時から23時までで
その範囲でのシフト勤務でしたが、私はオープンからラストまでを週5,6で働いていました。
1日7,8人を担当していましたので、200人弱/月のお客様になります。
報酬は4,50万円/月だったと思います。
前の会社は大手とはいえ、20万円/月くらいの給与でしたので
それは、転職する人は増えますよね。
土日祝日に休めるようになったので、友人の結婚式にも参加できるようになりました。
1年半くらいで渡航資金は貯まったので、カナダに留学にいくことに。
海外留学のスタート
夢の海外生活
ホームステイしながら語学学校に通いました。
中学英語もできなかったのに、留学1週間後にはコロンビア人と出かけたのはいい思い出です。
とにかく英語が話したくてアルバイトもしました。
はじめたのはローカルレストランのウエイター。
英語が話せないと、皿洗いやキッチンなどの裏方に回されることが多いのですが
「大丈夫だから、ウエイターやらせて!」と根拠のない自信で入れてもらいました。
最初は話せるわけもなく、ミスもたくさんしましたが、数ヶ月後には電話も取れるほどになりました。
半年ほどで美容師もはじめました。
少し話せるようになってきたと思ってましたが、カウンセリングに苦戦。。
日本語でもズレが出ることもあるくらいなので、難しかったです。
しかし日本の技術が通用したのは非常に嬉しかったところです!
認められるとリピートしてくれますし、チップも弾むので、やりがいや達成感をとても感じました。
学んで、遊んで、働いて。
あっという間に1年が経ち、カナダ留学を終えた後は
夢の場所であった「ウユニ塩湖」を目指して1ヶ月ほど世界旅行に。
その後、日本に帰国しました。
エンジニアに転職
1ヶ月で転職活動
2020年2月下旬に帰国しました。
たった1年ちょっとしか離れていないのに、とても新鮮だったことを覚えています。
まずスーツとパソコンを買いました。
片っ端から転職サイトやエージェントにも登録して、自分が興味があって、かつ機会をもらえた企業とはとにかく話をさせていただきました。
20社くらいとコンタクトは取ったかと思います。
そんなこんなで4月からSES企業で働くことになりました。
最初の数ヶ月はJavaベースの社内研修。
OCJP Java SilverとPython3認定基礎試験も1ヶ月ほどで取得。
その後、案件に配属となりました。
今感じていること
2年間で4つの案件に携わりました。(全てJava)
プログラミングもですが、現場ごとの業務キャッチアップが速くなるなどの成長を感じております。
エンジニアがシンプルに楽しいですし、案件ごとに変わる業務内容や人間関係も刺激が多く充実してます!
しかしSESの特性上、社内交流が薄く、その会社(SES)にいる意義が感じにくいなと。
そうでないSESもあると思いますが、私の会社の場合は同じ現場に配属された人がいる場合を除いて、案件が変わるときくらいしか交流はありません。
それはメリットでもありますが、私は少し物足りないなと感じるようになりました。
いくつか理由はありますが、1番はマイルストーンが見えなくなってしまっていることです。
どの案件に入れば最も近道になるのか、その時した選択は将来にどんな変化をもたらすのか。
言わずもがな、エンジニアは自走力の求められる職業です。
学習コンテンツも溢れるほど存在しますので、自身のやりたいことを学習するのは難しくないでしょう。
しかし私の場合、やりたい言語や案件内容よりも数年後、将来どうなりたいかに重きがあります。
今の環境は多くの営業の方がたくさんの案件を持ってきてくれますが、そこから先は自分です。
営業の方はエンジニアではありませんので、相談しても納得する答えは得られませんでした。。
メンターとまでは言いませんが、キャリア相談できる相手が欲しかったと思います。
またこの2年間で1度も昇給や打診などが会社からなかったことも挙げられます。
単価連動性ではありませんでしたが、年1度の昇給とは記載されていたので残念でした。
給与も自身の能力や価値のモノサシの一つになると思いますが、その変化がなかったことも自分の現在地が見えない要因の一つになったと思います。
これから
エンジニアとしては2社目となる会社へ転職します。
キャリアについて誰かに相談したいなと思っていた時に、TwitterでSさんのカジュアル面談の募集を見かけました。
その人の発信を見ていて共感する部分が多く、一緒に働けたら成長できるな、楽しそうだなと思っていたので、すぐにコンタクトをとりました。
カジュアル面談って名ばかりで普通に面談になるパターンって多いと思うのですが、Sさんは本当にフラットで、そこも惹かれたところの一つです。
その会社に入る/入らないではなく、私自身のことやエンジニアとしてどんな将来を目指すのか、私にとってどの選択がベストになり得るのかを話してくれました。
その時は自身のタイミングでなかったり、Sさんの会社に入るには少し経歴不足だったりと、話しただけになりましたが
それから半年ほど経ち、再度コンタクト、一緒に働けることになりました!
代表が「現役エンジニア + 元美容師」のところも縁だなと。
会社のことはまた改めて書きたいと思います。(まだ入社してない)
最後に
サービスを自分の手で作りたい、多くの人に届けたいとエンジニアに転職しました。
美容師とのダブルワークも約2年が経ちます。
起業の話もありました。
美容業界向けのサービスを思いつき、それがエンジェル投資家の耳に入ったことで動き始めた話です。
・システムを0から作ることはできませんが、その業界にいるので知見があること。
・10年以上の美容師経験と業界内の繋がりがあること。
その2つの掛け合わせが面白いと思ってもらえたようです。
この話は流れてしまうのですが、スキルの掛け合わせを再認識した出来事でした。
いずれ起業もしたいと思いますが、今はエンジニアとしてのキャリアを自分の理想像に向けて積み重ねたいと思っております。
人生一度きり、前進あるのみ。